2017年度 新学期に寄せて

自ら考え、自ら解決

 2020年度から新しい学習指導要領が実施されます。戦後9度目の改訂になるとのことです。改訂される次期学習要領ですが、現在の学習指導要領を引き継いで、「ゆとり」か「詰め込み」かという二項対立を乗り越え、基礎的な知識及び技能、思考力・判断力・表現力等、及び主体的に学習に取り組む態度という学力の三要素のバランスのとれた育成を重視するとあります。また、ほぼ同時期に行われる「高大接続改革」も加え、「自ら課題を見つけ、取り組み、他者とコミュニケーションを取りながら乗り越えてゆく力」を育むことも強調されます。まさに「未来を生き抜いてゆく力」「創造的な力」の養成です。 さて現在、多くの人間が、今の子供たちを取り巻く環境は急速に悪化、複雑化するだろうと想像しています。そのことが次期改訂の根底にあるのは間違いないと思います。どのような環境なのでしょうか。

不確実性の増す未来

 第二次世界大戦後、廃墟の中から再出発した多くの国々は、戦争の主な原因となった「偏狭なナショナリズム」や自国利益を優先する「保護貿易政策」などを反省し、様々な「対策」をとってきたように思います。しかし戦後も70年以上が経過し、多くの国々の多くの人々は、いつの間にかそのことを忘れかけているのではないかと首を傾げたくなるようなニュースが毎日のように流れます。
 
 昨年6月に、イギリスの国民投票でイギリスがEUから離脱する(Brexit)ことになりました。多くの人間が驚きの声をあげました。 20世紀は社会主義の壮大な実験が行われ(国家レベルでは主に東欧で)、また第二次大戦後の西欧ではナショナリズムの克服というこれまた壮大な実験が並行して行われた(行われている)と学生時代に学びました。前者は1991年のソビエト連邦崩壊で実質的には幕を閉じましたが、後者の場合、その克服に使われた(使われている)方法は、ヨーロッパに暮らす人々のアイデンティティを「私はフランス人」や「私はドイツ人」というものから「私はヨーロッパ人」というものに拡大することにより、それまで「分離の悪しき概念」と認識されていたナショナリズムを「ヨーロッパ統合の希望的概念」へと昇華させようとするものでした。ヨーロッパが、ヨーロッパ人としてのアイデンティティで一つになり、国境も民族も宗教(宗派)も全て克服する夢のような世界の現出です。この実験は、原加盟国6カ国から7度の拡大を経て現在28か国が加盟し、2012年にはノーベル平和賞を受賞するまでに成功しました。しかし、イギリスはその理想を捨ててEU離脱を決め、それに追従する動きもオランダなど複数の国で活発になっているようです。悪しきナショナリズムの復活でしょうか。

保護貿易政策の台頭

 自由貿易に関しても、戦後すぐの1948年に発効したGATT(関税と貿易に関する一般協定)やそれを受け継ぐWTO(世界貿易機関)といった国際組織、様々なFTA(自由貿易協定)を通して、世界は保護貿易の台頭を抑えてきましたが、2008年のリーマンショックに端を発した世界同時不況による経済成長の失速の中でブロック化と保護政策の進行が頭をもたげ始めています。次期大統領に決まったアメリカ合衆国のトランプ氏は「A-
merica First」を選挙期間中から公言し、TPP(環太平洋パートナーシップ協定)にも否定的です。その理由は「アメリカの利益に合わない」という利己的なものでした。イギリスのEU離脱決定にも似たような理由が挙げられています。「自由な人、物の流れはイギリスの利益に合わない」と。こうして将来再び、保護貿易主義の気運が全世界に澎湃として起こることになるのでしょうか。 昨年の11月に、防衛大臣や農林水産大臣を歴任した衆議院議員の石破茂氏の講演を聞く機会がありました。『国を想う』という演題でしたが、その講演の中で特に印象に残った発言は、「global economy は国と国との格差解消には役に立っているが、同時にそれは個人個人の格差を急激に拡大している。それが一番進んでいるのが英米で、その結果がアメリカでのトランプ氏の出現や、イギリスのEUからの脱退に繋がっているのではないか」との分析でした。

不安定な世界情勢

 第一次世界大戦の非合理から国際連盟や軍縮という合理が生まれ、しかしながらその合理の中から、第二次世界大戦という未曾有の非合理が生まれました。戦後、人類は再び国際連合やEUといった合理を追求してきましたが、2014年のロシア(国連安保理事会常任理事国)によるクリミア半島の一方的な併合や、中国(国連安保理事会常任理事国)の南シナ海での一方的な領土拡大を見るにつれ、再び非合理の世界が出現するのではと多くの人間が危惧しています。非合理を繰り返して合理に戻る、そしてその合理を繰り返しながらまた非合理に行き着く、それが人間の歴史なのでしょうか。

自ら考え、自ら解決

 今の子供たちは、この様な国際情勢の中で生きていかざるを得ない訳ですが、その行く手には第四次産業革命とも言われる、進化した人工知能が様々な判断をしたり、身近なものの働きがインターネット経由で最適化されたりする時代の到来も待ち構えています。全ての課題・問題が全ての人間にとって初めてのことですから、解決方法は過去には存在しません。まさに自ら考え自ら解決する力が時代から要請されているのです。もちろん英語力の必要性はいかに強調してもし過ぎることはないでしょう。未来を見据えてしっかりとした実力を身に付けなければなりません。山王学院もしっかりお手伝いしなければならないと考えています。

2016年度 新学期に寄せて

激変する未来へ挑む子どもたち

 今年の夏の或る雑誌に、東進ハイスクールの永瀬昭幸氏と前文部科学大臣の下村博文氏との対談が掲載されていました。その対談の中で、ニューヨーク市立大学大学院センターのキャシー・デビッドソン教授が「2011年に小学校に入学した子供たちの65%は、大学卒業時に今は存在していない職業に就くだろう」と予測したことが話題になっていました。これは何と15年後には、今の職業の65%がなくなるということを意味しています。また、オックスフォード大学のマイケル・オズボーン准教授が「今後10~20年程度で、アメリカの総雇用者の約47%の仕事が自動化されるリスクが高い」と発言したことも取り上げられていました。これは、現在の仕事の47%は、ロボットやコンピューターに取って代わられるということです。更に、経済学者のジョン・メイナード・ケインズ氏が、「2030年までには、週15時間程度働けば暮らせるようになる」と発言し、今のように週40時間働いていれば半分以上の人が失業してしまうことになるとの予言も掲載されていました。彼らに言わせると、現在の職業の多くは今後なくなっていくのです。

確かに未だパソコンが特定の人間にしか扱えない時に、現在のSEやプログラマーのこれほどの需要を誰が予想できたでしょうか。また、携帯電話も我々の生活環境を劇的に変え、これらの仕事に従事する人間の数は我々の想像を遥かに超えるものです。また、ソフトバンクやDeNA、楽天といったコンピューター関連会社は野球球団などをその傘下に収めるほどの企業に成長し、更に、これらコンピューター関連企業以外でも、最近、「何とカタカナの仕事の多いことか!」と思うのは私たちだけではないと思います。

 先日興味深い話を耳にしました。現在国家資格が必要な弁護士や会計士、税理士、(医師)といった専門的な職業が、近い将来、人工知能(機械・コンピューター)に取って代わられるのではないかというものでした。膨大なデータを内蔵した人工知能(機械・コンピューター)が、それが持つデータを駆使してクライアントの抱えている問題の核心を把握し、その対処方法を極めて正確に示す時代が来るというものです。また、それが真のベストではなくセカンド・ベストやサード・ベストであった場合は、その対処方法の欠点をも記憶し次のベストに繋げます。それは丁度、チェスや将棋の名人と戦うコンピューターが、何万種類の打ち方からベストな一手を導き出し、対戦しながら更に良い一手を学習するのと同じですが、機械の場合「経験」は必要ありませんし、また「経験」を忘れることもありませんから、信頼性は「抜群!」となります。

 さて、このような状況を前に、国は今までの暗記や記憶を中心として能力を測る教育(パッシブ・ラーニング)から、新しい時代に適応できるような教育(アクティブ・ラーニング)に切り替えていかなければ、子供たちの未来はないという危機感を持って教育改革を開始しています。 

 教育には2つの手法があります。一つは先人たちが培った学問や知識を受け継ぐ生徒にとって受信型の教育、いわゆるパッシブ・ラーニング。もう一つは自分の意見を主張して、今までにない発想で新しいものを作り上げる発信型の教育、アクティブ・ラーニングです。「2011年度に小学校に入学した子供たちの65%が、大学卒業時に今は存在していない職業に就くだろう」との未来予測が提示されている現代を考えますと、後者の教育が望ましいというのは当然でしょうが、日本では、高等教育を担う大学で発信型教育が比較的盛んに導入されているものの、中学校や高等学校といった中等教育の前期・後期ではあまり多くは見られません。 

 この様な状況に危機感を抱いた国は、将来の日本を担う子供たちが21世紀を生きぬくために、今まで通りのパッシブ・ラーニングに加えて、新しいいくつかの能力が求められると考えて改革を進めようとしています。そこで必要とされる能力とは「困難な課題を主体的に解決していく能力」や「前例のない困難な課題を主体的に解決していこうとする創造性や企画的な能力」などです。 

 また、今後の英語教育にも大きな改革が実施されます。皆さんもご存知のように、我々日本人は中学1年生から高校3年生、大学4年生まで、膨大な時間を英語に充てているにも拘わらず、多くの発展途上国にも及ばないお粗末な英語力しか養成されていません。特に、入試に直接関係しない「話す」といった能力に関しては、TOEFL iBTのスピーキング部門で169か国中最下位という情けなさです。この能力で、どうやって世界の人たちと一緒に、問題を「創造的に」解決できるのでしょうか。この現実を前に、国は「聞く」「話す」「読む」「書く」の4技能をバランスよく育成するために、5・6年生において、外国語活動を必修とし、中学校では「読む」「書く」を重視した指導から4技能のバランスが取れた指導へ移行し、高校では生徒が英語に触れる機会を充実させるとともに、実際のコミュニケーションの場面とするため、授業は生徒の理解の程度に応じた英語を用いて行うことを基本とすることなどを明示するようになりました。

 大改革が始まり、この国が活力を取り戻す気がします。山王学院も民間教育機関の立場からこれら改革を共に成功させたいと思います。

2015年度 新学期に寄せて

昨年秋は3名の日本人がノーベル物理学賞を受賞しました。
これで日本人の自然科学系(物理学・化学・医学生理学)受賞者は17名(米国国籍2名を入れると19名)となり、この数は世界の中で5位、アジアでは断然トップになります。
因みにアジアでは、1913年にインド人のタゴールがアジア人最初のノーベル賞を受賞しましたが、自然科学系の受賞者は中華民国(台湾)が2名、インドが1名程度で、韓国や中国などを含む国々からの受賞者はゼロとなります。
さて発表後に、この日本人の受賞についてアジア諸国の様々なコメントをネット上で目にすることが出来ました。
「金を積んだから取れたのだ」というような否定的なコメントもありましたが、
ほとんどは日本人の勤勉さや真理に対する真面目さを称賛するものでした。
それらを読みながら、日本の凄さ・底力を再認識させられました。

ただ、ノーベル賞に関して、我々は日ごろ不思議に思っていることがあります。
昨年秋も日本人受賞者が3名も出て国中沸き立ちました。
しかしそれが、世界で「日本がアジアの国々の中で、人類に対しダントツの貢献をしている」
と認められているとしても、その貢献はアメリカの247名という数字の前には、ほとんど霞んでしまいます。
「アメリカは移民の国で、多くの優秀な科学者を海外から引き付ける魅力あるからそんな数字になるのだ」
と分析する方もいますが、それでは、イギリスの82名、ドイツの68名はどうなるのでしょう。
九州よりわずかに小さく、人口も730万人程度のスイスでさえ、15名の受賞者をだしています。西欧諸国には過去の膨大な科学技術・知識の蓄積があるが故に多くの受賞者を輩出することができるのでしょうか。

我々は、欧米の自律的勉強の習慣にそのヒントがかくされているのではないか、と考えています。
西洋人は科学を前にして、理性(Reason)と信仰(Faith)の対立がないとよく言われます。それは、西洋人の場合、信仰の先に科学があり、神を知り、より神に近づきたいという強い信仰心が、人をより深い研究に導くのだということを表しています。
勿論、それが西洋人全てに当てはまるとは思えませんが、勉強の殆どを、ひたすら暗記に費やさざるを得ない日本人と比較して、どちらがより真理に近づく方法として「優れているか」を考えれば結論は自明であろうと思います。

塾・予備校は、お預かりした生徒の皆さんに第一志望校へ合格していただくことが最優先の仕事となります。
しかしほとんどの時間を塾漬けにしたり(それも高額)、膨大なテキストを配布して(それも高額)、ひたすら暗記に励んで合格「させた」として、その先にどのような高校生活が待っているのかを考えれば、ノーベル賞に限らず、自律的に勉強することがどれほど深い意味を持つか、真剣に考えなければならない時期に日本は来ていると我々は思っています。

山王学院は自律的に、勇敢に、楽しく勉強する生徒の育成を通して、塾生の第一志望校合格【夢の実現】を目指しています。

2014年度 新学期に寄せて

塾の使命・「できる!」環境の提供

レベルの高い環境に身を置くと、知らない間に出来ないことが出来るようになっている(能力が上がっている)ということがよくあります。例えば、英会話を学ぶために外国へ行く人が多くいます。外国へ行けばだれでもその国の言葉を流暢に話せるようになる訳ではありませんが、少なくとも国内でその国の言葉を学ぶよりも遥かに効果があるのは事実です。それでは何故国内と国外とではこのような違いが生まれてくるのでしょうか。考えられる理由の一つは、周囲の全ての人間がその国の言葉で話しているので、その国の言葉を話すことが「特別なこと」ではなく、「当然のこと」となることが挙げられます。「特別なこと」が「当然のこと」になると、今まで「難しい、無理だ」と思っていたことが当たり前のようにできるようになります。また出来るように努力をしない自分が不思議な存在に思えてきます。つまり、周りの環境がその人間のスタンダードとなった結果、その人間が出来て当然だと「良い意味で錯覚」したのです。「やって当たり前」「できて当たり前」、それが【環境の力】です。
実は、塾もそのような環境、そのような空気を提供している場でもあります。難関校へ入りたいのだけれど「難しい、絶対に無理だ」と思っていても、自分がその難関校を受験する生徒が多く集まる環境(塾)に身を置くと、受験し合格することが当然のように思えてきます。「彼ができるなら自分も出来る」と。また同時にその塾がその志望校へ合格するしっかりとした学習プログラムを持っていれば「最強の錯覚」を提供できることは言うまでもありません。

志望校に合格できる学習プログラム

勉強は自分でする。本来はそうあるべきであるかも知れません。しかし、こと受験に関して申し上げれば、生徒がどれほど優秀でどれほど能力があっても、受験する高校のレベルまで自分自身を引き上げる学習プログラムを確立できなければ、合格することは不可能です。また、学習プログラムを自分で作成すると、どうしてもその時の自分の力を前提にしてしまい、受験時のあるべき姿(当為)から逆算するという当然のことが難しくな

ります。個別指導などは、分からない所を重点的に聞ける非常に優れたシステムですが、目標の設定がどうしても自分の力の範囲内になってしまいがちで、本来到達しなければならない段階まで自分を引き上げることができないということが大きな弊害になります。自分自身で設定した目標を達成して満足することは非常に大切ですが、その達成した目標が志望校とリンクしているかを常に検証することが合格には不可欠です。その時その時の目標は達成したが、受験時直前の自分の実力と本来の目標とのあまりの乖離に驚くことがあってはいけません。学習プログラムは受験時のあるべき姿から逆算されたものでなければなりません。 山王学院は難関校のレベルに達するための【合格プログラム】を持っています。それは、どの段階でどれだけの力を持っていなければならないか、その為に何をしなければならないかという合格から逆算したプログラムです。その中には授業前に行われる「確認テスト」や「最小限の宿題」なども当然含まれます。 笑い話ですが、暗に宿題を禁止している塾、確認テストを禁止している塾が存在します。理由は簡単で、生徒が宿題をやってこなかったり確認テストで悪い点を取ったりした時に、教える方はそれを注意(叱責)せざるを得ない。するとその生徒が反抗し、教室の雰囲気が悪くなり、その結果退塾が出るというものです。しかしこれでは塾が存在する意味があるのでしょうか。合格ラインに到達させる逆算指導プログラムに基づく宿題や確認テストがない指導は、生徒本人には負荷のかからない「楽な」ものでしょうが、特にお預かりしている生徒の多くが難関校を目指している場合、大きな疑問を持たざるを得ません。

山王学院の授業・試験対策

塾、予備校の使命の大きな一つは、生徒の皆さんが受験に際して、無駄な時間をなるべく減らすことです。勉強していない生徒が塾に行って少しでも勉強すれば多少成績が上がることは当然ですし、また、長時間、たくさんの問題をやっても(やらされても)成績は上がるでしょう。では中学生、高校生は受験勉強だけしていればいいのでしょうか。受験に関係ない本は読まなくていいのでしょうか、クラブ活動は控えたほうがいいのでしょうか、映画や友達との外出などは必要ないのでしょうか。我々はそうではなく、勉強も大切ですが、その他の様々な体験が生徒一人ひとりの人間的成長や人格形成には必要不可欠なものであると考えています。そのために生徒の皆さんは「真にやる価値のある問題をやる」必要があります。しかし、そういった問題を見つけ出すことは容易ではありません。ですから、山王学院は過去問の分析・研究を怠りません。経済用語に「2:8の法則」というものがあります。2割の優秀な商品が市場の8割を席巻するというものです。しかし、これは経済の世界だけに当てはまるものではなく、受験の世界でも「2割の良問が受験問題全体の8割の内容を網羅する」というのはかなりの程度当てはまる事実です。基本的な問題はどの問題でもあまり変わりませんが、質の高い問題は測定すべき様々な能力を、とても自然な形で測定できるように考えられており、同時に問題の本質を分かりやすく教えてもくれます。こういった良問が論理的思考力と総合力を短時間で鍛え上げてくれることは多くの人が指摘するところです。過去問の分析と研究、それを基礎とした授業・対策の重要性はどれだけ強調してもし過ぎることはありません。多くの問題に真面目に取り組むことも時には必要なことですが、それはそれに費やす膨大な時間を考えればベストな方法だとは必ずしも言えません。 睡眠時間を犠牲にしてひたすら問題を解くだけの勉強、過去問の単なる暗記などはまったく馬鹿げた行為で、それによって高得点をとってもあまり意味はありません。山王学院の本質を衝いた授業・対策でより幅広い知識を身に付けて頂きたいと考えています。

2013年度 新学期に寄せて

公立高校入試の難化

平成14年に中学校の内申がそれまでの相対評価から絶対評価に変わり、通知表の5や4などの人数比が各中学校で個々別々になり、またその後の公立高校入試でダブル不合格者が多数出てから、愛知県の入試は格段に難しくなったといわれています。絶対評価以前の平成14年度入試に対し、その後の入試の平均点は明らかに下降傾向が見られます。おおよそ絶対評価以前の入試と比べ10点近い得点の開きが出ています。

高校入試 過去の合格

平成15年度に始まる絶対評価以前の高校入試はそれほど難度が高くなく、学校の毎回の定期テストで好成績を残して「高い内申を揃え」当日は極力「凡ミスをなくす」という2つのことをきちんと守れば、ほぼ合格へたどり着いていたのですが(内申点重視)、現在の合格は全く違う顔をしています。定期テストで好成績を残すことは当然のこととして、その次には入試当日の難問が待ち構えています。更に進学校ではそれが1.5倍にされます(当日点重視・実力重視)。

高校入試 現在の合格

受験に際して、学校で扱われる問題は最重要であり、また実力重視の入試といえども内申点の高いほうが圧倒的に有利であることは当然です。学校での授業、定期試験、提出物なども手を抜かず、やるべきことをしっかりとやることが大切です。しかし現在の入試の下、それ以外に難関高校合格を手にするために必要なものがあるとすれば、それは試験時間内に難度の高い問題に対応できる高い学力を身に付けることだということは多くの関係者が共通して指摘するところです。高い学力を身に付けるには方法があります。ただ漫然と眼の前の問題を解き、分からない問題をなんとなく質問していても高い学力を身に付けることはできません。その方法では必要とするレベルまで到達するのに何年もかかり、ハードルは高いままで入試が始まってしまいます。高い学力をつけるには先ず、志望校のレベルを調べ、到達しなければらない目標を確認することです(時にそれは「自分では無理そうだ」と思われるものになる場合もあります)。次に、そのレベルに合った(時にはそれ以上の)問題に怯むことなく継続して挑戦し続けることが大切です。

質の高いコーチ・伴走者・応援団の大切さ

「高そうに見える」ハードルを克服する方法は様々です。自らを奮い立たせ努力する『自燃性』の生徒でしたら、目標を見据え一人で果敢に戦いを進めるだろうと思います。ただこれはなかなか難しい。私たちは生徒(受験生)の多くは『可燃性』であろうと考えています。一旦火が点くとメラメラ燃える可能性を備えているが、なかなか点火せず、また残念なことに点火しても燃焼が長くは続かない。

我々山王学院は生徒・受験生のやる気に火を点け、その火を大きくし、そして継続してその火を燃やし続けるお手伝いをするコーチ・伴走者・応援団であり続けたいと願っています。生徒の皆さんは出来そうもないと思った問題にも積極的に挑戦し、一方、我々は生徒の皆さんが挫折しそうになった時に一生懸命励まし生徒の皆さんの本当の力を引き出す・・・ちょうど2000年のシドニー・オリンピックで金メダルを獲得した高橋尚子さんと小出コーチとの関係を、受験のフィールドで実現したいと考えています。そして「努力を続けることの楽しさ」を通して「自立した人間・社会人」になってもらいたいと願っています。

2012年度 新学期に寄せて

奇跡の合格

「オール1の落ちこぼれ、教師になる」という題名の本が数年前に角川書店から出版されました。著者の宮本延春さんは、現在、豊川高校で数学の教鞭をとられ、また政府の教育再生会議やエッセイストとしても活躍されています。宮本さんのこの本では、彼が教職を天職と自覚するまでの生活(人生)が余す所なく紹介されていますが、その凄まじさには何度も息を呑みます。
 彼は中学校を卒業後、大工さんの見習として働き始める訳ですが、その中学卒業時の学力評価はなんと「技術家庭と音楽以外オール1」です。英単語はbookしか書けず、漢字は自分の名前だけ、数学は「九九の二の段まで」しかできず・・・、という状態でした(本には通知表がそのまま掲載されています)「いじめ」が原因で学校嫌いになり、また勉強しても誰からも褒められずという状態が続き、完全に学習意欲を失っていたようです。その彼が23歳の時に、彼女が持っていたアインシュタインを扱ったビデオに触発され、更に彼女のアドバイスもあって定時制高校に通い始めます。良き友人や先生に恵まれて、その後、彼は大学入試模試(数学)に於いて愛知県でトップを取るほどの成績になり、名古屋大学への進学を果たします。そして大学院・研究職を経て、現在の高校教師の道に進むのですが、この本を通して多くの人間が単なる合格ではなくそこに至る彼の生き様(努力)を知り、言葉にならないほど感動したのではないかと思っています。
 この本は『「オール1の落ちこぼれ」がどの様な勉強をして難関国立大学へ進んだのだろう?』と興味を持ち、そのテクニックを知りたいという切実な思いを持った受験生、またその保護者たちの間で話題が沸騰し、たちまち書店から姿を消してしまいました。しかし、私たちはこの本の意味を別の角度から検証できるのではないかと考えます。この本の中では、筆者の各受験科目の勉強方法なども掲載されていて、それはそれで理解もでき評価もできるのですが、それよりも何よりも、「やる!」と心の底から決意した人間、小学校3年生のドリルをやりながら漠然と思い描いていた将来の夢が「確信」に変わった人間が「確信通りの結果を出す」ことに私たちの目は釘付けになります。

【成功の黄金律】という言葉があります。人間が成功する時、それぞれ程度の差こそあれ、この黄金律にしたがってその成功を実現していると言われています。その黄金律とは、先ず【①毎日続ける(コツコツやろう)、次に②変化が現れる(あれ?できた!)、すると③自信が出てくる(出来るかもしれない?!)、そして④確信に変わる(必ずできる!!)】というものです。確かに、第一志望校へ進んでいく生徒は皆、「自分の合格を確信し

ている」という点で共通性があると私たちは「確信」しています。「合格する」と確信し、「合格する自分を明確にイメージしている生徒」は必ず合格します。この様な生徒は、一度習ったことを是が非でも自分のものにしようと、習った項目に対して様々な「切っ掛け(cue)」を張り巡らします。また、それをこちらが伝えると、真剣にノートをとります。「失敗するかもしれない」という不安がない訳ですから、「合格という山」を真直ぐに登って行くのです。
 私たち山王学院は、人間の能力には本質的にそれ程の差はないと考えています。ご紹介しました宮本さんのように、中学卒業時、オール1の人間でも本気で「やる!」と決断すれば難関国立大学の名古屋大学に合格できるのです。受験で合否を分けるのは自分を信じて合格(成功)を確信し、困難に立ち向かって努力できたかどうかではないかと思っています。「自分の最大の敵は自分である」とよく言われますが、実は逆に「最大の味方」も自分自身なのです。「合格の確信」はすぐには手に入りませんが、【成功の黄金律】を信じて、先ずは始めてみましょう。そして継続しましょう。

2011年度 新学期に寄せて

私は誰か?

フランスの哲学者サルトルは、机やドアなどを「即自存在」と規定したのに対し、人間を「対自存在(可能存在)」と規定しました。つまり、机はどれだけ時間を経ても机であり続け、それ以外のものではありえない。即ちA(机)=Aであり、A≠nonAであると。ところが人間は机などと違い、絶えず「自己を越え出る存在」であって、自分自身に可能性を投げかける(企投する)ことによって、常に別の自分に成ろうとする可能存在、自由な存在であるというのです。つまり人間は、机と異なりB(人間) ≠B、B=nonBだということです。

 確かに机を前にして「君は机ではないのだよ」と、机そのものに対して我々は「否定」を持ち込むことはできません。しかし人間はどうでしょう。「今の君は本当の君ではないんだ」と言われたらあなたはどう応えるでしょうか。「いや僕は僕で、三十年後も今と変わらない僕だよ」と応えるのでしょうか。 サルトルの『存在と無』という本を読んだ時、「私は一体誰なのだろう」と考えました。自分の未来には「なるべき自分」というものがあるらしい。しかしそれは一体何なのだろう。
 その本を読んで、もう三十年以上が経ちます。しかし、未だに私は「これが私だ」という瞬間を経験していません。サルトルに言わせればそれは当然で、「これが自分だ」と捉えた瞬間に、「別の可能性を持つ自分」が出現するものですから、企投(自由)の情熱は結局、悪しき無限の反転(悪無限)に終わるのです。
 このように、自分に可能性を投げかけて「未来の自分を探す旅」は終わりのないものです。しかし「本来の自分を探す旅」は価値のないものなのでしょか。人間は机のように、ただ存在し「私は何年経っても私だよ」と言って人生を終えることができるのでしょうか。
 小学生、中学生、高校生の皆さんの前には広大な「可能性の海」が広がっています。皆さんはこれからその大海原に漕ぎ出していこうとしています。「本当の自分を探す旅」です。人間ですから時間は限られています。最終目的地はサルトルの言うように存在しないのかも知れません。しかし、忍耐強く、自分の可能性を追求していけば必ず、ある時ある瞬間に素晴らしい、机のように【充実した自分】を発見できると我々は確信しています。

2010年度 新学期に寄せて

知の時代を生きる若者たち

「知の時代」の到来が叫ばれて久しいですが、どれだけ多くの若者が「知の時代」に対して正しい認識を持っているのでしょうか。ある著名な弁護士が、「知の時代」を生きるこれからの若者たちが課せられるであろう重大な問題について、数年前に講演を行っています。その講演の中では、人類の進化の歴史は以下の六段階に分けられます。順に[Ⅰ]第一次産業「足腰の時代」、[Ⅱ]第二次産業「手足の時代」、[Ⅲ]第三次産業「口先(契約)の時代」、[Ⅳ]第四次産業「頭(ソフト)の時代」、[Ⅴ]第五次産業「心の時代」そして[Ⅵ]第六次産業「気の時代」という六段階です。またその際、講演者は、現在の我々は[Ⅳ]の「ソフトの時代」に生きていると結論付けています。
 人類の歴史が六段階に分けられ得るか否かについては議論の分かれる所でしょうが、この講演の中には非常に興味深い指摘がありました。それは主に肉体を使う[Ⅰ][Ⅱ]の時代と、主に頭(脳)を使う[Ⅲ]の時代以降には大きな違い、圧倒的な格差が存在するということです。
 [Ⅰ][Ⅱ]の時代、ある人がどれだけ仕事が出来、どれだけ優秀でも、他の人と2倍・3倍の違いは生まれません。例えば、農家としてどれだけ優秀でも単位面積当りの農作物の収穫量で2倍・3倍の違いは決して生まれない。また、100メートルを走るにしろ、世界最速の人間が9秒5としても13秒前後で走る男子高校生と2倍の差も生まれないということです。しかし「口先(契約)・頭(ソフト)の時代」以降の「知の時代」では9秒5と13秒の差は決定的です。マイクロソフト会長のビル・ゲイツは10年ほど前に個人資産の中から数兆円をいう巨額の資金を自らの財団に寄付し慈善活動を開始しましたが、それでもなお7兆円近くの資産を有し、且ついまだ毎年1000億円程度の「資産」を殖やしているようです(Forbesなど)。日本人の平均年収が400万円として一体何倍の格差が生じているのでしょうか。このような例はアメリカのビル・ゲイツに限らず、発展途上国を含めて多くの国々で見られるようになってきました。ごく少数の人間が巨万の富を独占する状況です。

 さて、その講演で指摘された「知の時代」を生きる若者たちの課題に戻ります。講演者の力説する課題は「頭脳を使って三歩前に出よ!またその能力を開発せよ!」というものです。肉体(足)を使って三歩前に出ることは100人いれば100人全員が可能です。しかし「頭脳を使って」となると、一歩前に足を踏み出せる人間が100人中20人程度、更に二歩目を踏み出せるのがその中の5名程度、そして最後の三歩目を踏み出せるのは数名に限られ、最終的に最後のその数名が成果のほとんどを持ち去ります。
受験に際し、誰かに引きずられながら三歩目を踏み出す生徒がいます。それはそれで必要な場合も勿論ありますが、山王学院は「自ら」三歩目を踏み出せる人間を育てることを最終的な目標としています。また「継続⇒変化⇒自信⇒確信」という【成功の黄金律】をしっかり守り、感謝の心を持つ事で、誰でも成功できることを伝えたいと思っています。山王学院は生徒の皆さん一人ひとりの長い人生の中で「真に役に立つ塾」であり続けたいと考えています。

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