代表 あいさつ

代表取締役 合田 威里

【理 念】

一、教育者としての倫理を守ります。

一、教育サーヴィスの質の向上に日々努めます。

一、生徒さん中心の教育サーヴィスを常に実践します。

 縁をいただいて平成元年に半田市に進学塾・山王学院を設立しました。
当時は既に第二次ベビーブームが終わり、生徒数が急激に減少することが充分予測されていました。しかし、それが私には大いなるチャンスに映りました。ベビーブームの時代は、それこそ「塾を作れば生徒が集まり」、誰がどのような目的で塾を作っても「儲かる時代」でした。
当時アルバイトで勤務した塾もその例外ではなく、「とにかく生徒に塾を辞めさせない」ことが最優先で、全くやる気がなくいつも授業を妨害する生徒や「学校なんかどこでもええわ!」と開き直る生徒を注意・指導しても、その生徒が反抗して辞めれば「反省文」を書かされる始末でした。
向学心に燃えた生徒を集めて、「徹底的に教えたい」というのが当時の切実な希望でしたが、そのような塾は存在せず、それならば自分で作るしかない、というのが山王学院設立の経緯、理由です。

 そのため山王学院は、「来たい生徒は誰でも受け入れる」という、他の多くの塾とは一線を画し、入塾動機を確認し、入塾試験を厳格に守って出発しました。
基礎学力の不足している生徒を「集団」で教えることには限界があります。生徒も大変でしょうが、教師もどのレベルに焦点を当てて授業すればよいのか分からず、結局誰のためにもならない空間と時間を作るだけになってしまいます。そして、その無為の空間と時間に保護者の方は授業料をお支払いになる訳です。
入塾試験は基礎力を測る問題を中心に作成し、英語・数学で一定以上の得点で合格としました(小学生は英語の代わりに国語)。
その結果、第一期生は15名が受験し、10名が合格。内訳は中学3年生8名、中学2年生1名、中学1年生1名で小学生の受験者はゼロでした。
共同経営者だった友人に預けられた専任職員が2名おりましたので、前途真っ暗な、まるで闇に向かって進むような旅立ちでしたが、その後の中間・期末テストなどで、その8名の生徒が定期テストで1番を含む一桁の順位を取り始めると状況は一気に好転し始め、設立2年目の1990年で80名、3年目で170名、4年目で240名と生徒数は急増しました。

生徒数の増加に伴って半田市内や周辺都市の多くの中学校の学年トップを山王生が占めることになり、4年目には半田市内5中学の全中学3年で山王生が学年順位1番を独占しました。そして、開設から4年半後に、半田市清水北町に専用校舎を新築し移転しました。

 また2年目の平成2年(1990年)には県内難関校へ進学した生徒の保護者からの強い希望を受けて高等部を新設し、これは現在の東進衛星予備校・半田住吉校へと発展し、全国レベルでベスト20以内や中部地方の衛星予備校の中では何度も最優秀に輝くほどの成績を収めております。
また、日本の英語教育(学校)は、「泳ぎ方は教えてくれるが、泳ぐ場所がない(スイミングプールのないスイミングスクール)」と言われています。この問題を少しでも解決するために、1993年に英国サマースクールを開講しました。
泳ぐ場所を生徒に提供しようと開講に踏み切ったのです。
このサマースクールは2003年よりオーストラリアのメルボルンに場所を移し、近年ますますそのコンテンツを充実させています。

 山王学院は現在、小中学生対象校舎が7校舎、高校生対象校舎が1校舎、英会話・本部1校舎で生徒の指導にあたっていますが、今後も高い理念を掲げて更なる発展を意図しています。

 塾の使命は「生徒の皆さんに第一志望校に合格してもらうこと」が第一で、その次に「生徒の皆さんに受験を通して努力の大切さやその報酬について学習していただくこと」、そして最終的には「生徒の皆さんに自立した社会人・日本人として威風堂々と生きていく力を身につけていただくこと」だと考えています。
そのために私たちは教育者としての倫理を守り、教育サーヴィスの質の向上に日々努め、生徒さん中心の教育サーヴィスを常に実践しなければならないと考えています。

 出来なかったことが出来るようになる事ほど人に感動と自信を与えるものはありません。我々は時に学者、時に医者、時に芸者、時に役者、時に易者、そして時にコーチ、伴走者として生徒に寄り添い、生徒とともに感動を分かち合いながら、今後も成長し続けていきたいと考えています。

山王学院 代表 合田 威里

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